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幽玄静寂

静けさに舞い降りた言葉達。

丹田と共鳴

丹田はどの当たりにあると知り意識したとしても、しっかりそこにあるという事を感じる事はなかなか難しいものであると思います。

 

しっかりそこにあるという事を感じる事が出来れば、意識する事も機能させる事も出来るので簡単にそこにあるという事を誰にでも感じる事が出来る方法を書いておきます。

 

高所から例えばビルや絶壁から立ったまま下を覗き込んだらヘソの下あたりがゾワゾワしまして、ゾワゾワするあたりが丹田です。

 

ワザワザビルや絶壁の上に立って下を覗きこまなくても、窓の外が見えるエレベーターから窓の下に視線を向けたまま降りたらゾワゾワする場所が分かります。
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実は個人的に丹田とかチャクラとか詳しくありませんが、身体のどの当たりにあるというものははっきり感じる事が出来ます。

 

丹田は他のチャクラと共鳴するみたいでして、呼吸をする時に丹田を意識して静かにゆっくりと細く息を吐く時に意識すれば共鳴しまして、それが出来ればいろいろ応用出来るようですが、個人的にはどう扱えばいいか持て余していますが、1つだけその共鳴を上手く活用しているので紹介します。

 

パワースポットやパワーストーンが自分に合うか合わないか、パワーと共鳴してパワーを受け取る事も出来るようでして、これは人間相手でも自分自身に合うか合わないかという事まで分かります。

 

実は共鳴というものも1つの進化の鍵となるものだと思います。

 

 

偽りからの解放

誰だって騙されたり平気で嘘をつかれてしまう事は不快であると思う、そういう不快さが消えてしまえばどれだけ楽なものでしょう。

 

多くの人が偽りから解放されなければならない、何故ならばごく少数だけで解放されたとしても、偽りから解放されない人々の中を生きれば偽りの人の世を流され続けなければならない、ならば偽りというものを取り除いてしまえばいいのでしょう。

 

人の世の人為的なもののほとんどは、人為的にそうであると見せられているものです。

誰だって全裸では街を歩きません、必ず洋服を着用して街を歩くでしょう、それと同じ事であると考えると早い。
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見せ方というものは人それぞれ、わざわざ不利になるような見せ方なんて誰もしません。

だけど見せ方よりも自然でありたい人も沢山存在しているでしょう。

 

何故そう見せるのかという意図を考えるようになれば、いろいろなものが見えてしまうものでして、たったそれだけの事なのです。

 

騙されたり平気で嘘をつかれたり、見せられたままを期待して信じてしまえばそうなってしまうものである。

 

誰も信じるなという話でもありません。

自分を信じた上で意図を考えるようにする、そうすれば結果的に相手が伝えた事が噓になったとしても相手が悪くなくて、結果が悪かっただけだという事もあるでしょう。

 

騙されたり平気で嘘をつかれてしまう、そこに囚われてしまわない考え方、そこに囚われてしまえば本当の意味で信頼出来る人間なんて居なくなってしまいます。

 

見せ方や伝え方の先にある意図を考えるべきなのです、そうすれば盲信や誤解や噓からも解放されるでしょう。

 

偽りから解放されれば本当に信頼出来る相手が手に取るように分かります、あまり話さなくとも分かってしまうようになります。
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偽りから解放されるだけで、いろいろな感覚が目覚め始めるでしょう。

 

依存した考え方を捨ててしまいましょう。

もっと自分を信じて自立した考え方を持つべきなのだと思うのです。

 

表面的なものよりも、意図を考えなければ話す言葉よりも大切なものなど伝わらないものなのです。

 

誰よりも自分自身を信じるべきなのです、自分が感じる感覚は他人に感じとっては貰えないものなのだから。

群衆の一人

誰かがこう言っていたから正しい。

肩書きのある人が言ってたから間違いない。

周囲では常識なんだから間違っていない。

 

この考えは危険なものになります、それどころか既に危険なものでもあります。

 

群衆の一人である事は楽で寂しくもなく責任もありません、誰かの受け売りであれば誰かの責任とすれば何度間違っても人は離れてゆくことは無いのでとても楽で安全に思える。

 

だけどそれでは何の徳も積み上がりません、得はあるかも知れないが何も残りません。

 

群衆の一人であり誰かの受け売りが間違っていれば誰かのせいに、正しければ自分の手柄にしては金を掻き集める人は存在します。

 

表向きハンデを背負いながらも一人で必死に頑張ってきた、そんな嘘をついて同情あつめては、楽に金を掻き集めて人を使い捨て渡り歩く人なんて存在する。

 

本当にハンデ背負いながらも必死に頑張っている人さえ踏み台にしている人が存在する。

 

そんな人が流れ着いた先は嘘だらけの世界、嘘を群衆に押し付けるのが仕事になりまして、姿を見たく無いのだがweb上でたまに見かけては吐き気をもよおしてしまいます(--;)

 

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誰かがこう言っていたから正しい。

肩書きのある人が言ってたから間違いない。

周囲では常識なんだから間違っていない。

 

それよりは自分で考え自分の感覚を信じて、何が正しくて何が間違っているかを判断出来る人が増えなければならない。

 

群衆の一人となってはならない、群衆の一人は群衆とともに集団で自滅もしくは誰かの破滅に巻き込まれる危険性があります。

 

何が正しくて何が間違っているなんて人が決めてしまえるものです、集団を巻き込んで間違いにしてしまえば間違いになります。

 

だから何が正しくて何が間違っているなんて考えてもいけない。

 

何が自然であり何が腑に落ちるかなのです。
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真実に見せたまがい物が沢山存在します。

だけど真実も沢山存在します。

 

真実はいつも自然であり腑に落ちるもの、だから相手に説得されて無理矢理信じる場合は間違いであり、自ら惹かれて関わってみて自然であり腑に落ちるものが本物です。

 

群衆の一人である必要はありません。

 

群衆の一人であるよりは、自ら惹かれて導き出した自由な意思で強制されずに集まる集団である方が助け合って生きてゆけます。

 

周囲に流されて決めた事は間違えば後悔するが、自ら惹かれて導き出した事は間違ってしまっても間違いを修正して正解に辿り着く。

 

今の世の中はあまりにも危うい・・・

人本来の能力について。

あけましておめでとうございます。

 

おめでとうという言葉。

おめでとう→おめでたい→めでたい→めでる

めでるを漢字にすると『愛でる』

『愛でる』から『愛でたい』『愛でとうございます』そして『御愛でとうございます』

 

小さな子供が必死で頑張って何かを成し遂げた様子を見たのならば、例えばもしも我が子ならば抱き上げて「良くやったね」「頑張ったね」「よかったね」と抱きしめたくなるでしょう。

『御愛出たい』となってしまいます。

 

おめでとうは愛が溢れ出した言葉ですね、だから何度でも言いたい言葉でもあります。
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 では本題に戻ります、人間の本来の能力について書いておきます。

 

人間は本来宇宙と繋がる能力を持っています、宇宙と言ってしまえば遠くかけ離れた場所であるように感じるでしょうが、宇宙とはとても身近な場所でもあります。

 

地球は宇宙の一部であり自然は地球の一部であり宇宙と直接繋がっています。

 

海の潮の満ち干きは月の影響を受けますし、植物達は太陽のおかげで生きています、海の生き物達も太陽の周期で生活して月の周期の中で子孫を残してゆきます。

 

本来人間も太陽の周期で生活して月の周期で成長してゆくものでもあり、宇宙の周期を感じて生きてゆく能力がありますが、今の時代は便利な時代でもありまして便利な生活をしてゆくうちに宇宙の周期を感じで生きてゆく感覚が麻痺してしまうのです。

 

宇宙の周期は身体にしっかり残されています。
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大晦日に無意識の声に身を委ね実行してみた事がありまして、それをした結果から書いておきます。

 

大晦日は年明けまで浴びる程に酒を吞んで過ごしました、田舎の士族の本家筋の名残りを残す我が家では馬鹿みたいにお歳暮で酒が届きまして、馬鹿みたいに呑みました。

 

実は俺は低血圧で朝が弱く、アルコールも抜けにくい体質でして、それでも夜明け前に我が家から南側の神社に初詣に行って日の出を背にして帰りたかったのです。

 

呑み終わって寝てシャワーを浴びて身を清めて出発するには四時間も眠れませんし当然酒も抜けないはずなのですし、寝起きは間違いなく辛いだろうと思っていました。

 

夜明け前の1番暗い時間帯に目が覚めて、酒は完全に抜けてシャワーを浴びて身を清めて出発出来まして、時計を見なくても時間がだいたい分かったりしました。

 

それ以外にもいろいろな周期と行動が噛み合いまして、不思議な事が次々と起きましたが書けば書く程長くなるので省きます。
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大晦日に無意識の声に身を委ねて実行した事とは、頭皮の浄化をしてみました。

 

個人的にやってみたやり方は、ディープクレンジング系のシャンプーに重曹混ぜて髪がキシキシしてしまう程に洗い、浄化作用のある紫ウコンをすり下ろして抽出したエキスを髪になじませたまま暫く湯船につかり、汗を沢山かいてから洗い流して軽く自然派のトリートメントをしました。

 

浄化作用のある植物にはいろいろありますので、紫ウコンじゃなくてもいい気がしますし、死海の泥パックも良さそうな気がしていますが、とりあえず頭皮をしっかり浄化するだけで感覚的なものが随分変わってしまうようでして、お勧めします。

 

考えてもみれば、一般的なシャンプーやトリートメントというものは添加物というか化学物質のようなものですから、毛穴の多い頭皮というものはそれらの化学物質を体内に吸収しやすいものですし、頭皮は脳からも近く髪の毛は紫外線から頭部を護る為に生えているものですし、頭頂部は宇宙からのいろいろな感覚を受信する場所でもありますので、理にかなっているのだと思います。

 

何よりも、気が晴れない時に頭皮の浄化をしたら嫌な気分も軽くなると思います。

 

それだけでも、人間本来の能力が少しだけ働いてくれるものなのでしょう。

 

お読み頂いた皆様、今年もよろしくお願いします(^^)

今年最後の言葉。

ただ一言です。

『ありがとう』

どんな1年間であったとしても、いい1年間であり来年はもっといい1年間である1年間を迎えられる為の言葉なのです。

 

喜びも怒りも哀しみも楽しみも全て。
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怒り哀しみは良くないものでもありますが、こういう事があるから喜びも楽しみも深みが増すものであると思うのです。
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悪く感じてしまうのは、その中に存在している時だけでしかありません、だからワザワザ思い出して怒りをぶり返したり哀しみに溺れてしまってはいけません。

 

だから『ありがとう』なのです。
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喜怒哀楽の全てはしっかり生きた証であるのだから、自分自身にも『ありがとう』と言うべきなのであると思うのです。

 

自分自身を生かしている存在というものは、自分以外の周囲の存在でもありまして、1年間の中の最後の1時間ぐらいは全てに感謝して良い新年を迎えるべきでしょう。

 

このブログを読んで頂いている皆様、ありがとうございました。

 

来年もよろしくお願いします (^^)

イメージを身体に降ろす方法。

人は緊張すると鼓動が早く呼吸は浅くなります、映画などを見てもドキドキしたり手に汗握ったりします。

 

この状態はイメージが身体に降りている状態であり実際にその場に居なくても、身体の半分はその場を経験しています。

 

身体の半分とは、脳内で経験して呼吸で経験して血流で経験しています。

 

イメージを身体に降ろすと考えると、とても難しいですが日常から経験しています、そう考えると簡単に感じるでしょう。

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個人的にイメージを身体に降ろす簡単な方法がありまして、その方法について書きます。

 

イメージに呼吸を合わせて血流を意識する。

イメージを呼吸にして鼓動を意識する。

イメージの中に血流を意識して意識を流し込む。

 

こうするとイメージが身体に降りてきます。

 

イメージが身体に降りてくれば、身体が半分ぐらいイメージの世界を経験します。

 

例えば明日、何かの実技試験があるとします、実技試験の内容の書いた資料を何度も読み返して暗記したとしても、本番でやる時は言葉だけしか出て来ません。

逆に内容を暗記しなくても、イメージで経験しておけば動作に言葉がついてきます。

実はイメージで体感しながら資料を読んでいるので、実戦では逆に目の前に資料が出てきてしまい、その通りにやるだけなのです。

 

実は先日、仕事関係の国家試験を受けまして、イメージを経験したおかげでほとんど勉強する暇がないままに合格しました(^^)

 

脳で記憶するよりも、イメージを身体に降ろす方が効率的な場合もありまして、個人的に勉強嫌いなのでイメージで体感してきました。

 

 イメージを身体に降ろす。

 

これはいろいろな場面で応用出来ます。

 

俺の場合身体が特殊な体質でして、血流だけで筋肉が一回り大きくなります、そこから身体を動かすともう一回り大きくなります。

 

元々の身体はかなり華奢でして、二回り大きくなっても普通より細めではありますが (^_^;)

 

趣味で身体を動かす事が多いのですが、サーフィンする時は前日にサーフィンするイメージをしっかり身体に降ろすと、サーフィンで使う筋肉のパーツに血を通してあるので、微妙にサーフィンする身体になりまして、潜る時は潜るイメージをしっかり身体に降ろすと潜る時に使う筋肉のパーツに血を通してあるので、微妙に潜る身体になります。

 

イメージは身体にも現れるものですから、イメージを鍛えれば運さえも身体が経験して呼び込めるものだと思います。

 

イメージの世界を半分ぐらい身体で経験するという事は、とても大切な事です。

本物は本物以外の何者でもない。

一見不要なものであっても、それが本物であれば何かと必要にもなるものでして、偽者であれば不要でしかありません。

 

例えば誇りもしくはプライドというものは、偽者であれば簡単に傷付き壊れてしまうものでしかありませんが、本物であれば傷つく事も壊れてしまう事もありません。

 

自慢というものは嫌な印象しかありませんし、個人的にどれだけの事をやってきたとしても、他人に何も自慢出来る事なんてありません、個人的には他人に自慢する事に価値を感じなくなってしまいました。


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もしも他人に自慢をしたいのであれば、他人のやった事さえも自分がやった事のように自慢すれば、ちょっとした事を大袈裟に凄い事にしてしまえばいくらでも自慢出来ます。

 

俺には他人には自慢しないが自分自身に自慢出来る事は沢山あります。

 

自慢は自分自身に自慢出来るのである事が本物であり、それを沢山積み重ねる事で本物の誇りが出来上がるものでしょう。

 

全てを手放したとしても、本当に必要であるものはやがて戻って来るものです、きっとそれらが自身にとっての本物達なのでしょう。