群衆の一人
誰かがこう言っていたから正しい。
肩書きのある人が言ってたから間違いない。
周囲では常識なんだから間違っていない。
この考えは危険なものになります、それどころか既に危険なものでもあります。
群衆の一人である事は楽で寂しくもなく責任もありません、誰かの受け売りであれば誰かの責任とすれば何度間違っても人は離れてゆくことは無いのでとても楽で安全に思える。
だけどそれでは何の徳も積み上がりません、得はあるかも知れないが何も残りません。
群衆の一人であり誰かの受け売りが間違っていれば誰かのせいに、正しければ自分の手柄にしては金を掻き集める人は存在します。
表向きハンデを背負いながらも一人で必死に頑張ってきた、そんな嘘をついて同情あつめては、楽に金を掻き集めて人を使い捨て渡り歩く人なんて存在する。
本当にハンデ背負いながらも必死に頑張っている人さえ踏み台にしている人が存在する。
そんな人が流れ着いた先は嘘だらけの世界、嘘を群衆に押し付けるのが仕事になりまして、姿を見たく無いのだがweb上でたまに見かけては吐き気をもよおしてしまいます(--;)
誰かがこう言っていたから正しい。
肩書きのある人が言ってたから間違いない。
周囲では常識なんだから間違っていない。
それよりは自分で考え自分の感覚を信じて、何が正しくて何が間違っているかを判断出来る人が増えなければならない。
群衆の一人となってはならない、群衆の一人は群衆とともに集団で自滅もしくは誰かの破滅に巻き込まれる危険性があります。
何が正しくて何が間違っているなんて人が決めてしまえるものです、集団を巻き込んで間違いにしてしまえば間違いになります。
だから何が正しくて何が間違っているなんて考えてもいけない。
何が自然であり何が腑に落ちるかなのです。
真実に見せたまがい物が沢山存在します。
だけど真実も沢山存在します。
真実はいつも自然であり腑に落ちるもの、だから相手に説得されて無理矢理信じる場合は間違いであり、自ら惹かれて関わってみて自然であり腑に落ちるものが本物です。
群衆の一人である必要はありません。
群衆の一人であるよりは、自ら惹かれて導き出した自由な意思で強制されずに集まる集団である方が助け合って生きてゆけます。
周囲に流されて決めた事は間違えば後悔するが、自ら惹かれて導き出した事は間違ってしまっても間違いを修正して正解に辿り着く。
今の世の中はあまりにも危うい・・・