幽玄静寂

静けさに舞い降りた言葉達。

諦めを与える言葉。

表向き感情的になって我を失ってしまうという事は滅多にありません、更に感情から涙を流すという事はここ20年以上ありません。

 

喜怒哀楽というものはちゃんと持ち合わせておりまして、我を失わない分自分の中から鮮明に突き抜けるものです。

 

身近な人が亡くなった時、一番哀しい瞬間というものは、葬式の出棺の時なのです。

棺桶に花をたくさん入れて蓋をして、布を被せて霊柩車に運ぶ時に、棺桶のだらしない重みまで哀しみが深まるものでして。


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感情的な他人から言い放たれた本心の言葉には諦めを与える言葉というものがありまして、その言葉から感情を考えて相手からすれば自身はどういう存在として考えられているのか、そこに辿り着いた時に、これ以上は無駄でしかないと綺麗に何も気持ちを遺さずに立ち去る事が出来ます。

 

貴方には心がない。

貴方には愛がない。

貴方は人を愛する事が出来ない。

 

個人的に、この言葉を言われたら何の想いも気持ちも遺さずに相手の事を忘れ去ります。

 

何故ならば感情的に言い放った言葉の通りの本心が相手の中に存在してしまいます。

 

相手にとって人ではありません。

人として人格を持ってはいけないのです。

相手の思うままでなければならないのです。

 

だから感情的とはいえ、そんな事を言い放つ事が出来てしまうのです。

 

自身の事を心が存在する人として見る事が出来ない人は、結局のところいろいろな面で負担にしかなりませんでした。

 

人は人格を持ち心が存在するものとした上で接する事で助け合えるものです。

人の人格も心も認めず自身の思うままである事を望む相手と助け合おうとすれば、相手の為に犠牲になる事を求められるでしょう。

 

見知らぬ他人でさえ人格を持ち心が存在しています、人はいつの間にかそれを忘れてしまう事もあるのでしょう。

 

それを忘れてしまったとしたら、それを思い出すだけで世の中は変わるでしょう。